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印象はリアルへ本質へ・XG hypnotize震えて考察⑦

HYPNOTIZE 震えて考察シリーズ|第7回

初めての方はこちらへどうぞ→#セイレーンが誘う深淵で全てが始まる・XG hypnotize震えて考察①|JURIA、JURIN、CHISA、HINATAは誰なのか?

XGの表現の意味|印象からリアルへの転換

アポロンとミノタウロスのメッセージから得た仮説に立って見ると、ミステリアスで、リスナーを迷わせるかのような歌詞の印象は一変します。
フレーズそれぞれに、彼女のリアリティ、2人のリアルが現れ出し、歌詞に直接書かれていない絶望の淵を彷徨う彼の現状さえ見える。

3回繰り返されるサビは、同じフレーズでありながら、回を重ねるごとに2人の心情と情景が移り変わり、全く異なる景色を見せる。

その実感を吹き込んでいるのが、XGの表現力に他なりません。

CHISAが《私の命令は君の存在理由になる》とハイテンションで言うのは、私のために生きてという願いを悟られないように、イリュージョニストになりきる彼女の優しいユーモア。

いつもならきっと自信満々に表現する《そんなの常識》というセリフも、MAYAは〝催眠術のために涙を堪えるシーン〟を表現するためトーンを抑える。

JURIAで始まりJURIAで終わる、その優しい声のパートは、現実に聞こえる声か心の声か、内側か外側か、その境界を曖昧にして、揺らぐ現実の機微を描いている気がします。だから、XGの描くリアルは、クリアでありながら、こんなにも美しいグラデーションになる。

そして、境界さえ溶かしてしまう愛だったのかもしれません。
JURIAのあの優しさ溢れる声は、彼女の彼を愛する心そのもの。

ミステリアスだった印象の冒頭から徐々に、ピースのはまったドミノのように、2人のリアルへと世界観が完全に転換してゆく。
印象からリアルへと転換した時、すべてが完璧に計算されコントロールされていたXGの表現の意味が、わかる。

楽曲のダブルミーニング|絶望から救いへの転換

彼には残酷に響いてしまいそうな《君は逃げられない》のフレーズ。
考察から彼女の個性が見えると、彼女は、彼にそんな残酷な言葉を決して投げかけない気がします。けれど、彼に聞こえた声か、心の声か、内側か外側かを確定させず、始めと終わりのJURIAパートは曖昧に描かれていると気づかせたキーフレーズです。

そして、このフレーズは、歌詞全体においての〝リアルへの転換〟の要であり、このフレーズ自体の意味が180°転換するという異次元フレーズです。

初見のミステリーのような意味を含めると3つ(トリプルミーニング)ですが、仮説によって靄がなくなるように2人のリアルが見え出してからの、2つの意味に注目です。
画角がガラリと変わります。

1つ目の見え方は


​You’re running from what you can’t escape
​君は逃げられないものから逃げているんだよ


​逃げようのない暗闇の沼の中で彼が必死に逃げている、逃げようともがけばもがくほど増大する恐怖と不安に飲み込まれる、絶望的な現実を俯瞰する画角。

現実と対峙する彼女の瞳には、彼の苦しみに寄り添う思い、抗うほど恐怖が暴走し心身を引き裂くという心の性質を理解する聡明さ、冷静に受け止る覚悟、彼を自分が守るという決意が宿っている。
激しい恐怖に怯え逃げ惑う彼の絶望が、一層浮き彫りになる。


そして、歌詞中盤、彼女の切実な願いがわかったことで、またこのフレーズを振り返って見ると、見え方が変わる。



You’re running from what
君は何から逃げているの


You can’t escape
逃げられないよ


​《You’re running from what》
〝君は何から逃げているの、それは一番違うじゃない〟
彼女のはっとする目と悲痛な心の声。
怯え惑うパニック状態で死という逃げ道を選択しかねない彼の姿。彼女の瞳と彼の姿をフォーカスする画角。

《You can’t escape》
〝人生終わらせて死に逃げることだけは絶対にさせない、逃がさない〟
優しい檻へ変化する瞬間、何かが爆発する彼女の瞳。今にも死という沼に沈みそうな彼を、何が何でもこの世界に引き留める、血が噴き出しそうなリアルで強烈な愛。


このフレーズにあった静かに沈んでいく絶望が、極限まで高まる慈愛の救いへと180°見え方が変わる。

ただの言葉遊びの域を超え、絶望と救いという張り裂けそうな二面性が同時に、切迫感を持って胸に迫ってくるような表現になっています。

さらに凄まじいのは、このフレーズが仮説と結びつく仕掛けになっていて、このフレーズの仮説が歌詞全体を反転させる要となり、楽曲の空気感、世界観、私たちの見ている景色の見え方がまったく変わるということ。楽曲自体をダブルミーニングの構造にしていること。

​ミステリアスというベールで包まれていた楽曲が、脈動を感じるほどリアルな愛へと転換する。

そう。この楽曲の本質は…

根底にあるもの|リアルからの本質

夢心地にするよ、うっとりさせるよ、催眠術みたいに心の底から癒すよ、という根底にあったのは、

癒してあげたいと思う真心。
生きていてという、ただ切実な願い。
相手のありのままを、現状を受け入れて理解し、気遣う配慮。
相手を何より大切に思い、寄り添う愛。
相手や相手の再生する力を信じる希望。
自分が守る癒やすという自信。
諦めない心、夢、優しさ、ユーモア、笑顔、覚悟、絆…

これは、この全ては、愛では。

​そして、こうした心が滲み出る具体的な行動それ自体が、単に愛しているという言葉や、ただ愛に落ちるという受け身のものではない、能動的な愛の純粋な形、そのもの。

心理学者哲学者エーリッヒ・フロムの言う本質的な愛と響き合っている…
フロムが言わなかったとしても感じる。

これこそ、最も深く純粋な、愛の本質だと。


XGが本質を描く時

だからこそ、XGは曖昧に描いたのでは。

JURIAの始めと終わりのパートを、内か外か分からないようにしたのは、内なる愛そのものの本質を描き切るためだったと今思えます。

愛の本質の価値の前では、内側か外側か、聞こえたかそうでないかは些細なことで、本質は何も変わらない。内側にあってのみ輝くけれど、そもそも境界など存在しないかのように、ただただその輝きは外側に溢れ出る。

太陽などのまばゆい光を絵に描くとき、その輝きを表現するために、外側に輪郭は描かず、内も外もなく曖昧にぼかします。

XGはそれと全く同じことを、歌詞と、JURIAの繊細な歌声で表現している。
境界が揺らぐリアルであり、内なる愛のまばゆい輝きだからこそ、始まりと終わりのJURIAのパートでは、内と外を曖昧にぼかし、境界を溶かすような描き方をしている。

そしてJURIAが、あの優しさ溢れる、愛そのものが現れたような声で、この上なく美しいグラデーションを完成させた。
そんな気がします。