HYPNOTIZE震えて考察シリーズ|第12回
初めての方はこちらへどうぞ→#セイレーンが誘う深淵で全てが始まる・XG hypnotize震えて考察①|JURIA、JURIN、CHISA、HINATAは誰なのか?
至高のアートの謎
これほど私たちがこの楽曲に視線を操られ、これほど深い旅を感じるXGのこの至高のアートとは、一体何なのか。
またしても大きな謎です。
なぜ私たちは、これほど深く潜ってこれたのか
XGの音楽を聴いているとき、私たちは日常の嫌なことや外の雑音を忘れて、ただただその世界に浸ることができます。
音楽だけに集中して、他のことは意識しなくなり、心が軽くなる。そんな深い没入状態のことを、トランス(変性意識)と呼びます。
この変性意識状態は、臨床心理や医療の場でトラウマや傷ついた心を守るために使われる、安全で無防備な心の状態です。
外側の雑音や日常の余計な思考をシャットダウンし、感覚だけに集中することで心を解きほぐし、言葉や誘導を受け入れやすく(操られやすく)なる側面があります。
傷ついた心を守り救うための、医療の催眠療法(ヒプノセラピー)に心を委ねるように、XGへの圧倒的な信頼感が、私たちの心の防御を解き、没入させ、XGの音楽によってトランス状態を作っていた。
そうして、私たちは誘われるまま深淵を辿って来きたようです。
また、このヒプノタイズの旅は、ユングが行く手を照らしてくれました。
XGのこのアートの謎は、ユングの視点を交えることで、さらに一歩深く迫れるかもしれません。
XGがこのアートを仕掛けた理由
ユングは、人間が本来の自分として生きるためには、社会の目や他人の評価(外側の世界)に振り回されるのではなく、自分の無意識の奥底にある自己(セルフ)と繋がり、一体化していくプロセスこそが重要だと言いました。
ユング心理学で言う、個性化(自己実現)です。
けれども、私たちは普段、使い慣れた(使い古して凝り固まった)意識やエゴや理屈で生きていて、外側の出来事や他人の目や余計な不安にばかり気を取られています。
とはいえ、自らの意志で無意識の深淵に行こうとするなら、それはエゴの罠。
日常の私たちを支える意志は、広大な無意識の領域に比べれば表層の泡のようなもの。自らの魂の深淵へと潜るには、意志を超えた何か(状態や契機)が不可欠です。
彼女の催眠術に身を委ねたHYPNOTIZEの彼のように、私たちもまた、XGの圧倒的アートに操られ潜ってきました。それは、そうする必要があると、どこかで感じていたから、かもしれません。
XGへの信頼と素晴らしい音楽によって、心が解きほぐされ、ヒプノタイズ(催眠)を受け入れやすい状態になっていた私たちは、心地よく操られるようにして、没入のさらなる深みへ、自分の内側の奥底へと潜っていった。
外側のことばかり見てしまう私たちの視線は、知らず知らずのうちに自分の内側を見ていた。
そして、辿り着いたのは、自分の内側の中心だった。
そこにあったのは、愛だった。
自分の内側を見つめる旅、魂の旅になった。
つまり、これは、変性意識(トランス)の癒しでありながら、ユングの言う、内なる中心(セルフ)へ向かう旅だった、ということ。
他人の視線や評価、未だかつてない量の溢れる情報に、まるで操られるような、自分を見失いがちなこの時代。
そんな時代に生きる私たちに向けて、XGはアルバム全体の核として、この〝内なる自己愛〟をただ言葉にするのではなく、内なる自己へのダイブ、自己愛を見つける癒しの旅という体験として、このアートを私たちに差し出してくれたのでは。
至高のアートによって操られ、自己へのダイブを体験するという、とてつもない構造の心理学的アートです。
ヒプノタイズ(催眠)は、外側のことから私たちを守り、内側の愛へと向かせるためのものだった。
これは、歌詞の彼女が彼にかけた慈悲深いあの催眠術による〝愛の癒し〟と同じ。
ヒプノタイズはXGによる、私たちへの〝愛の癒し〟そのもの。
深淵でこちらをのぞき返していたのは、他でもなく、ずっと置き去りにされていた本来の自分。
その自分を自分で見つける。見つめる。それは丁寧な対話のよう。
見つけに行くことも、見つめることも、対話することも、その行いは愛。
追記|旅のあと、いま思うこと
深く潜ったヒプノタイズの旅から浮上して、呆然としながらその余韻の中にいると、一つ一つ、あの光景はこういうことだったのかもと、後から腑に落ちるような実感が押し寄せてきます。
CHISAのダイブ
MVでの、美しいCHISAのダイブは、XGと一緒に心の奥底へ潜るこの旅を先導するダイブだったかもと、今になって思います。
心の奥底にいた自分との奇跡のような出会いと、そこへ導くためにダイブするCHISAの装飾のない本来の美しさが、重なるように煌めいています。
MV最後のシーン
宇宙のように漆黒の闇の中、もはやミノタウロスは闇の一部で、XGメンバーも黒い闇に同化し始めていくラストシーン。
無意識の闇の中で、全ての境界線が消え、すべてが一つに溶け合って、とうとう自分の一部として一体化してゆく、あの受容の光景は、ここへ来て、私たちがこの旅で見てきた愛のことだったんだと、優しく大きな愛の受容の光景だったんだと、全てが溶けゆような感覚を今味わう…
仕掛けられたもう一つのダブルミーニング
ヒプノタイズの楽曲自体がダブルミーニングの構造になっていましたが、この楽曲に仕掛けられたトランスでの癒しまでも、ダブルミーニングかもしれません。
1つ目は、心地よい音楽や映像美によって、外の雑音を遮断し、何も考えずに感じるこ
とによって陥る音楽でのトランス。
《音楽によるトランスでの癒し》
2つ目は、催眠(ヒプノタイズ)によって、自分の心の奥底(深海)へと誘導されるトランス。
《催眠のトランスによって内なる自分と愛を見つける癒やし》
XGが仕掛けたトランスが、二重構造(ダブルミーニング)になっています。
自己へのダイブを体験する、とてつもない構造の心理学的アートは、XGへの信頼と安全なトランスの二重構造によって支えられていた。
だから、安心して夢心地で来れた。
今、とてつもないアートに震える。
